PacKon’s blog

TとYの交換日記

面白い話はどんな話か(その2)/ 今の小学生がスマホのない世界に行ったらどうなるか

 今日はTの番です。

 昨日初詣に行ってきました。家の近くに有名な神社があり、いつでも行けたのですがめんどくさがってここまで遅くなってしまいました。毎年恒例のおみくじを引いたら大吉でした。例年ならおみくじは神社の竹に括り付けて帰るのですが、今年はコロナ対策か竹が用意されてませんでした。家に持って帰ったはいいものの、そのうち捨てそうです。みなさんはおみくじどうされているでしょうか。

面白い話はどんな話か(その2)

 一口に面白い話と言っても笑える話、知らないことをより知りたいと思える話、人を貶して自己肯定感を高める話、などいくつかありますね。いずれも話し手聞き手にとっては興味をそそられるという意味で共通しています。

 私は他人と話していても面白いと思うことがあんまりないんですね(ただし笑える話をしているとき、聞いているときは面白いです)。でも建設的な議論をしているときは面白いと思いますね。多分誰にとってもそうなんじゃないでしょうか。建設的な議論をするためにはまず自分自身が建設的に話さないといけませんが、案外それが難しいもんです。結局それができずに、議論をしてもなんか筋の通らない言い合いになって終わるか、喧嘩のようになるのが嫌で口を閉ざすみたいなことはよくあるんじゃないでしょうか。

 笑える話は職人技のようなものである気がします。私の知り合いにも人を笑わせるのがほんとに上手な人がいますが、例えば幼いころに人を笑わせて、その時の嬉しさがきっかけで人を笑わせることを日常的に考えてきたような人は多分上手ですよね。分析できる気がしませんがそれでもやってみましょう。以下は軽く考えただけなので、無理があるところもあるかもしれませんが、気軽に見てください(というか私が書く記事は全部そうです。真剣に深刻に書いたものは一つもないです笑)。

 笑える話を「例え系」「正論・指摘系」「奇人・奇行系」の三つに分けてみます。例え系は例えにより笑いをとるもので、正論・指摘系は不思議なことや納得のいかないことなどの話をして、具体的におかしなところを指摘して笑いをとるもの、最後の奇人・奇行系はへんてこりんな人や出来事を物語的に伝えることで笑いをとるものです。こうして分けてみると、例え系は一朝一夕でできる気はしません。その人独特の感性がものをいう気がします。対して奇人・奇行系は周りに変な人・変なことがあれば誰でもできそうな気がします。正論・指摘系は奇人・奇行系に加えて自分のツッコミが必要と考えると、例え系ほどではないにしろ少し難易度は高めなのでしょうか。

 笑っとるけどなんでおもろいんやろと思うことはよくありますが、毎回わからないまま考えるのをやめますね。考えてもわからないに決まってます。そんな簡単にわかったら芸人なんて職業成立してないはずですから。ほんとに笑いを知りたいならやっぱ勉強・学問として調べるしかないですよね。

トピック 今の小学生がスマホのない世界に行ったらどうなるか

 ほんとは「面白い話はどんな話か(その2)」で記事を終えたのですが、直後にふと思いついて面白そうだったので次のトピックにしてみました。

 最初の一週間ぐらいはつらいけど、慣れてなんともなくなると思います。

 以前7,8か月スマホもパソコンも使わずに過ごしていたことがあります。すぐに慣れて思索にふけることが多くなり、いい期間だったと思っています。今の小学生は物心ついたときからスマホがあるのでしょうが、別にないと生きていけないものではないですから、すぐになれると思います。むしろものに頼らず自分で楽しさを見出す力が伸びるのではないでしょうか。スマホは調べものをするには重宝しますが、小学生に適切に情報を取捨選択できる情報リテラシーがあるのかははなはだ疑問です。むしろ不正確なコメントや扇動的なだけの記事を真実と錯視したり、過激なだけのエンターテインメント動画や自分好みの似通った動画を刹那的快楽として延々と見続けて活力を奪われたりするだけな気がするんですが、小学生がスマホを持つ意義って何なんでしょうか?(私はYoutubeなどの動画ビジネスは人間の活力を吸い取り、それをお金に換えるビジネスだと捉えてます)