Y、久々に更新する
Yです。不定期更新にするといったら、本当に書かなくなりました。3週間ぶりに書こうと思います。といっても、面白い話を考えるのは、ややハードルが高いので、今日は近況報告くらいの軽い記事にします。
一週間前と今日に、研究室で一回目と二回目の発表をしました。一回目は時間もオーバーしてグダってしまいましたが、今日はまあまあ良い発表が出来たかなと思います。発表は一人で学ぶ以上の理解力は必要ないと侮っていました。しかし、いざ発表する立場になると、良い発表をしよう、分かってもらおうと張り切るもので、一度学んだことを何度も考え直して、普通よりも理解が深くなったのは間違いないと思います。発表した内容は、鋭く記憶に残りその内容への親密度が増します。T君が人数の少ない研究室を希望していたことも納得しました。自分の発表の回数は、多い方が良い。
しかし同時に、他の人の発表をどのように聞くのが良いかという疑問が残りました。今日は、研究室のオンラインでの研究集会だったのですが、(明日と明後日もあり、本来なら外で行われる合宿です)博士以上の人が多く、発表中の語句の定義すら分からずあまり聞いていませんでした。少数で発表を行い、聴講者の質問に答えながら進めるという形式もあり、これはまだ発表を聞く意義があったのですが、発表者が一方的に話す形式のものはほとんどのものが聞く意義を感じられませんでした。まあオンラインであるし、聞きたいものだけ聞けばよいのですが、これからのゼミのことを考えるとやはり対策を練る必要がありそうです。考えてみたところ、やはり途中や最後に質問するしかない気がします。同学年のゼミだったら発表時間外に質問もしやすいので、それも良いと思います。発表中、(1)証明や論理を追っているときと(2)イメージや大域的な筋道を話しているときと(3)定義や定理、事実を述べているときがあります。(1)はスピードを追えなくなることが多く、(2)は大域的な話が自分の知らない語句で説明されたときに大域的な話でさえも分からなくなります。(3)は難しい発表でもわかることがありますが、数式だけで見ると記憶に残らず、次の話に行った途端に忘れることがあります。この中で、聞く側が対策できそうなのは(1)と(2)の問題だと思います。(2)の問題の対策は、知っている用語や事実を増やすか、自分の専門分野の発表を選ぶかといったことが考えられます。(1)の問題は分からないときは、他の部分や全体を見て無視するので良いと思います。(3)は発表者の裁量や発表テーマのとっつきやすさに関わりそうです。
書いてみたら意外と量が書けました。結局、いつものような分析になりました。頭が弱っているのではないかと心配だったので、少しだけ安心しました。今日はこのへんで終わります。
Tは不定期更新することにした(その2)/Yも不定期更新することにした
Tは不定期更新することにした
今日はTの番です。トピックが思いつかなくなってきました。二日に一回の更新は少し負担が大きいのでTは書きたくなったら書く、不定期更新にすることにしました。
おみくじで大吉が出た(その2)/面白い話とは何か(その5)
おみくじで大吉が出た(その2)
僕は寺や神社でおみくじを引いたのは、2、3回だと思います。結果まで鮮明に覚えているのは、修学旅行の時の一つです。現地の人の家に民泊したのですが、最終日の朝に、日の出が綺麗な神社に連れて行ってくれました。そこでおみくじを引くと大吉。神秘的な黄色と清々しい水色の空の中、大吉で少しだけ未来が明るく見えた(大袈裟ですが)感覚が印象に残りました。おみくじは記念に持ち帰り、今も家のどこかしらにあるはずです。しかし、おみくじに書いてあるようなことは特に起こりませんでした。結局は、自分の気の持ちようですね。
面白い話とは何か(その5)
さて前回は、実際に面白い話をしようと試みた訳ですが、良い出来とは言えませんでした。そこで文章で人を笑わせるような話はどんなものがあったか思い返したり、調べたりしました。辞書の面白い言葉の解説。新明解という辞書は独特な説明で注目されているようです。(下がリンク)
言いづらい本音をお茶を濁さず、はっきり書いてしまうところに魅了されるのでしょう。周りに口が悪いと言われてもズバッと言ってしまう人間に、多くの人が憧れを抱くことに関係していると思います。
漫才の書き起こしというのも見てみました。(上にリンクあり)漫才は文字で読むと全然、印象が違いますね。見たことのある漫才だと、脳内で勝手に音が補完されるのですが、見たことないとどのように言っているのか、間など想像できません。そう考えると、漫才師はできた台本からさらに間や言い方などを考えるという意味で、曲が出来た後に歌い方を考える歌手みたいなことをやっていると考えました。台本が出来たらほぼネタ作りは終わりだと錯覚していました。漫才の書き起こしは全然、漫才ではないですね。漫才と文章の笑わせ方は違うみたいです。
意味が分かると面白い話・笑える話 短編【解説付き】② | 暇タイム:暇でやることがないときの過ごし方
あと調べたのは、意味が分かると面白い話ですね。(リンクは上)全部が面白いとは、思いませんでしたが面白いものもありました。ここに文章で人を笑わせる、楽しませるヒントがありそうです。アイデアとか気づきが含まれています。
次回は、意味が分かると面白い話を参考に、もう一度話を作ってみようと思います。今日はこのへんで終わります。
おみくじで大吉がでた
今日はTの番です。
この交換日記も飽きてきました。あと何日続けられるでしょうか。
トピック おみくじで大吉がでた
近くに有名な神社があり、初詣のおみくじで大吉がでました。別におみくじのために初詣に行くわけじゃないですし、運勢を占うためにおみくじを引いているわけでもないですが、生まれたころからの習慣で年始には初詣に行き、初詣に行ったらおみくじをひかなければならないという固定観念のもとで、相変わらず今年もそれらを実行してきました。
大吉でした。しかし困りました。例年ならおみくじを結んでおく竹が設置されているのですが、今年はコロナ対策か置かれていませんでした。持ち帰ったはいいものの、どうするのがよいかわからず、収納棚の上に置いたままほったらかしてあります。皆さんはおみくじどうされているんでしょうか。
神社はいいですね。あのような神聖で厳かな雰囲気を他で快感するのは難しいです。あの空間はぜひとも未来に残したいと思いました。
面白い話はどんな話か(その4)
面白い話はどんな話か
Yです。今日は面白いということがどういうことなのか考えてみます。面白い話には大きく分けて2種類があると思っていて、おかしくて笑えるものと発見のある興味深いものです。それぞれ、笑話と知話と略すことにします。(読み方は自由ですが、僕は読みやすいので「えわ」と「ちわ」と読むことにします)
先に笑話の方から考えます。そもそも笑いとは何なのか?笑いは反射であり、様々な感情の場合に起こります。例えば、緊張状態から一気に解放されたときの安心で笑ったり、自分にはおよそ合理的に見えないことをまじめにやっている人が馬鹿げて見えて笑ったり、自分には持っていない度胸や行動力に感動して胸が高鳴って笑ったり、というように感情が笑いの原因であると思います。しかし、笑うときと同じような感情が引き起こされても必ずしも笑う訳ではありません。それを説明するのが、話すペースだったり、「間」と呼ばれるものなのでしょうか?少しだけ聞いている人の思考のスピードを上回っている方が面白いと感じます。先が読めると退屈になってしまいます。物事を正確に話そうとしすぎると、本論と逸れたり、話の展開のテンポが悪くなったりで、反応がいまいちになります。だから不要な部分を削ったり、話す順番を変えたりする能力が必要になる訳ですが、僕はこういう努力をしたことがないです。むしろ正確に話さないと気になったり、無駄だと感じる部分が少なくて現代文や英語の要約の問題が苦手だったりしました。面白い話をしようと日頃から考えていた人は、要約問題も得意だったのかもしれません。本論と逸れたり、声が聞き取りづらかったりすると、聞き手はそれが気になって話に割いている注意が下がってしまう。笑話を面白くするには、内容を面白くすることも大事ですが、ノイズを少なくすることも大事なのだと考えました。
では、どのような内容の笑話が面白いかについても考えたいと思います。笑いの原因となる感情を抱かせるように人を誘導する話が面白いということになると思います。経験が少ないので、この先を考える前に実践をしてみます。では、実際に話をしてみたいと思います。
中学生の時に、占いアプリにハマった。生年月日や名前だけから核心に迫るからスゲーと思って。色々なアプリを入れて性格を占った。占ったのは僕だけではない。知り合いも芸能人も占いまくった。特に生年月日までわかる知り合いは、良いサンプルになった。占いすぎた結果、自分でも同じ占いを出来るようになったものもある。性格の次は、未来予測まで占い始めた。「今年は飛躍の年になる、イニシャル○の人がキーパーソンに」
しかし全く当たっていなかった。見た時には心当たりがあるから腹立たしい。
僕はこう考えた、占いで未来を知ったから未来が変わってしまったのだと。それで占いアプリはやめた。
全然駄目です。読者の思考を少しだけ先取りして、意外性を出すことを意識したのですが、なんというか笑えない。文章で笑わせるのは、会話で笑わせるよりもっと難しい気がします。ちなみに、上のは恥ずかしながら実話です。今では、占いは結果の書き方に技術があって当たっているように感じるもので、未来を知ったから外れた訳ではない、と考えています。今日はここで終わります。
今の小学生がスマホのない世界に行ったらどうなるか(その3)
今日はTの番です。
ノートパソコンはすぐドライブがいっぱいになりますね。ドライブ買わないといけないようです。
今の小学生がスマホのない世界に行ったらどうなるか(その3)
行ってもすぐ慣れるだろうということは前に書きました。
スマホはパソコンやタブレットと比べて娯楽面が強いですよね。仕事で書類やプログラムを書いたり、オンライン会議ツールとして使用するにはやはりパソコン、せいぜいタブレットということになりますから、スマホで作業するというのはあまり聞きませんししんどそうです。大きさ、アプリの種類からしても娯楽を第一義的用途としたスマホですが、あんな小さなデバイスの中にあれだけ遊び道具が用意されている(もはや用意されているという言い方に違和感を覚えるくらい遊びの種類が豊富ですね)わけですから、飽きたら次、飽きたら次、と延々といじっていられる、いじらされることになります。しかもYoutubeがわかりやすいですが、右から入り左へ出ていくだけの膨大な情報のなかで使用者は一切頭を働かせずに、ただぼーっと画面を見続けているんじゃないでしょうか。こう考えると恐ろしいものです。
とは言いながらスマホは便利です。いくら有害だろうとスマホのない世界に戻すのは人類の進歩を無下にしています。私はもし自分に子供がいたらスマホは買うと思いますし、自由に使わせると思います。まあスマホよりパソコンのほうが面白いと思いますけどね。