PacKon’s blog

TとYの交換日記

「原因」をゲイインと読む(その2)/面白い話はどんな話か

「原因」を「ゲイイン」と読む(その2)

 Yです。確かに原因をゲイインとかゲエインと読みますね。そういえば雰囲気もフンイキではなく、フインキと読むほうが多いです。僕が考えるに、これは音便という現象だと言えると思います。「書きて」が、言いやすい「書いて」になったり、「読みて」が言いやすい「読んで」になったりすることをイ音便や撥音便と言いますね。原因や雰囲気にも音便と同じ現象が起きているけど、まだ名前がない、と。ここで、疑問に思ったのですが原因や雰囲気という言葉は使われるようになってどれくらいの時間が経っているのでしょう?

 ネットで調べてみたところ、日本語の中には幕末明治以降に西洋の概念に対応するものを作ろうと、日本で作られた熟語、和製漢語があるみたいです。聞いたことはあったのですが、実際、例を見ると、科学、哲学、理論、思想、時間、主観、客観、方法など日常でよく使うものばかりで、驚きました。中国にも逆輸入されているみたいです。目に見える固有物や動作ではなく、力や学問や考え方など概念が多いですね。これは、古文が現代語と違って見える訳だなあ。原因や雰囲気も、和製漢語とありました。ンイやンエとなる言葉が和製漢語によって多く生まれ、それらの歴史は新しいから音便に名前はないのだと考えました。

トピック 面白い話はどんな話か

 僕が大学に入って、高校までと違って驚いたのは話したがりな人やおしゃべりな人が少ないということでした。世の中には、自分が喋るのが多い人と人の話を聞くのが多い人といると思いますが、僕は後者でした。というのも、世の中には自分の話をしたい、しゃべりたがりな人の方が多いと思っていたのです。僕は、自分の話をしても自分にとって情報は増えないし、しゃべりたい内容もなかったので、しゃべりたがりな人とちょうど利害が一致して良いなと思っていました。自分の高校にも聞く方が多いという人は結構いたと思うのですが、僕の友達にはおしゃべりで僕から話題を振らなくても会話が止まらない人がなぜか多かったです。彼らは悪口とかつまらない話をしていたわけではないので、話すことに非常に長けていたのだと今は思います。ところが、大学に入ってみると一変。僕と同じで、自分から話をしない、することに慣れていない人が大多数でした。(理系だったことも関係ある気がします)大学では、むしろ自分から面白い話をする人は希少で高く評価されます。

 そこで、自分の在り方を問い直しました。自分の話をしない、というのは相手を楽しませようとするサービス精神に欠けているのではないか、どっちも話さない謎の時間を過ごすなら自分が話した方がその時間は双方にとって良いものになるはずだ、と話さない人が多い環境に順応することを考えました。

 と思いつつも、いきなり話はできないので初めに考えたのは、相手に趣味やサークルなどを聞いてそこから面白い話を引き出そうというものでした。しかし、質問に対し答えが短く、すぐに会話が終わってしまうことが多く、やりすぎると質問攻めになってしまっていまいち盛り上がりに欠けます。話の広げ方に上手い方法があったのでしょうか。次に、自分の話をしようと思い、大学の授業やサークルなど、双方に共通する話題について適当に話してみるという試みをしてみました。しかし、咄嗟に思いつく内容は、自明で面白い内容ではないし、テストがやばいとか出席が面倒だとかそういう話がしたい訳じゃない気がしました。(程度が過ぎている具体例や自信をもって出席していない場合などは面白いこともありますが)

 話が面白い人はどのような話をしていたのか、思い返してみます。独創性があるもの、自分の意見や哲学が込められた話、好きなものを語る話、特異な体験をした話、特に話はしていないがその場のノリで色々言っている空間。それらの共通項を探すと、その人の感情や考え、知識が詰まっている話が面白い話なのではないか、と考えました。

 次回も、面白い話について考えようと思います。今日はこのへんで終わります。