PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ不倫・浮気はいけないのか

 Yです。今日は長かった不倫、浮気の議論に終止符を打ちたいと思います。

なぜ不倫・浮気はいけないのか

 前回、自分も相手も不満を抱かないような(以前の記事では、損と書いていましたが、感情的な側面が大きいので不満と書くことにします)選択肢を選ぶ立場に立つと、不倫をするべきでない、という結論に至りました。今回は浮気について書きます。

 浮気をするということは、恋人が自分の未来の生活空間において特殊性を持たないだろうと見込んでいることを指すと考えます。浮気された側にとって悲しいという意見は納得できます。すると浮気の場合も、自分も相手も不満を抱かないような選択肢を選ぶ立場に立つとやはり浮気するべきではないと言えそうですが、それは結局、初めに正当性を疑った、相手が悲しむからという理由で浮気をしないという結論が導かれます。初めよりは、この考えに共感できるようになりましたが、やはり僕の中に少し違和感が残ります。

 前回の記事で言った通り、結婚には、相手が自分に合うかよく見極める慎重さか、相手との生活に順応していくという覚悟が必要になると思います。(以下、それぞれのタイプを慎重型、適応型と呼びます)慎重型は、付き合い始めることにも慎重になり浮気しづらいと考えます。適応型は自分の適応力さえ高ければ、他の人とも結婚後良い関係を築けると考えて相対的に浮気しやすいと思います。カップルが浮気で揉めるのは、二人がこの二つの価値観で割れたときなのではないでしょうか。浮気をするべきでない、としたら恋人と接する方法は慎重型の方が良いということになるのでしょうか?浮気のしやすさに違いはあっても、僕は二つの価値観に優劣はないと思うのです。慎重型は結婚してから自分の想像と違う、相手の嫌な部分を見つけたときに相手のことを嫌いになりやすいと思います。そう考えると浮気はある程度、仕方のないものだとも感じてきます。

 そうなると相手も自分も不満を抱かないような選択をする立場というものの正当性や、前の記事で示した不倫をするべきでないという結論も危ぶまれます。どの場面においても正しい価値観はもしかしたらないのかもしれません。相手も自分も不満を抱かないような選択をする立場に立つと、社会的に正しいことをしやすくなる代わりに、選択肢が大きく狭まって身動きがとれなくなってしまったり、多様性が認められなくなったりする。逆に多様性を認めようとしたら、相手や自分が不満を抱く選択も時には取らなければならなくなる。

 自分はどちらの価値観を選択するのが良いのだろう?価値観をどちらかに固定する必要はあるのだろうか?そんなことを考えながら、不倫や浮気についての考察は終わろうと思います。