PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ未成年者と成年者が付き合ってはならないのか(その3)

 今日はTの番です。

 

 なぜ未成年者と成年者が付き合ってはならないのか

 結論から言うと知りません。だから関係のないことを書きます。

 森達也さんという映画監督・作家をされている方の『誰が誰に何を言ってるの』という本を読みました。街でよく見かけるけど気にしない掲示や看板が、よくよく考えてみると実は奇妙な価値観が実体化したものだという内容で、「ああ確かに」という気持ちにさせられます。誰しも一度は思ったことがあるんでしょうが、人間にはすさまじい適応力がありますので、変だったものもいつの間にか当然のもの、むしろそれがないと不安になっていってしまうんですね。引用してうまくレビューできる自信がありませんので、引用しませんが面白いのでぜひ。

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 先日母と一緒に祖父母の家へご飯を食べに行きました。

母「最近はみんな好き勝手自分の言いたい放題で、みんなどうかしとんがんないか思うわ。職場の若い子も上司に好き勝手言って……」

祖父「昔は家族で嫌なことあっても、そういうもんや思てみんな我慢しとったけど、今の若い子は初めから不自由なく生活しとっからそういう我慢ができんがいちゃ」

母「確かに若い子は何でも知っとって、なんでもできっちゃ。やからと言って上司にあの態度はないわ。気に入らん事あったらすぐ扉バーンて」

祖母「あらそんなことすんがけえ」

祖父「普段我慢することがないから、なんか気に入らん事あったらすぐ爆発する」

 いったい何があったのか私にはわかりませんが、おいしいごはんもこんな話じゃまずくなるなぁと思って真剣には聞いてませんでした。

 昨今若者が政治に興味をもたない、選挙に行かないと言われます。確かに若者は政治に興味持ってません。選挙も誰かに行きなさいと言われないと行かない人が多いんじゃないかと思います。そんなんだから若者はこの国のことなんて考えてない、テレビや新聞で報道されていることにも興味がない。そういう声が聞こえてきそうです。でも思うんですよ、それは若者のせいなのかって。もちろん一番の原因は本人が興味を持とうとしない、興味を持っても勉強しないことなんでしょう。でもそういう環境を作ってきたのは大人ではないですかね。もうちょっと言えば大人だってそうなんじゃないのって思うんです。子供は大人を見て育ちます。大人が政治に興味を持ってなければ、子供は政治の話題に触れずらいですし、テレビでずっとどうでもいいスキャンダルやら失言問題ばかりやってたら、そもそも政治のことを真剣に考えるなんて気にならないんじゃないでしょうか。親に限らず社会の習慣として、子供をずっとそういう環境に置かせておいているわけですから、政治のことや社会のことに目を向けないのは当たり前だと思うんです。

 言い出したらきりがないですが、もう一つ。一番大きいのは教育なんじゃないかと。若者に政治・社会に興味を持ってもらいたいなら学校の授業で国会中継見せればよくないですか?そのままだと中高生には難しいから、先生が同時通訳ならぬ同時解説して、国会論戦を生でメディアの編集を通さず見させるのが一番だと思うんですよ。教育のデジタル化なんとか言ってますが、なんでそういう話は出てこないんでしょうか。とりあえずタブレット使っとけば教育は進歩するみたいにお考えなのでしょうか?国会中継は退職した暇なおじいちゃんおばあちゃんだけのものにしておくのはもったいないですよ。

 それどころか政治の話がタブーみたいな風潮ありますよね。学校の現場でも、政治の話をするのはご法度だみたいな。学校の外でも、誰に投票したかとか話すもんじゃないみたいな。別に誰に投票したかを訊くのは秘密選挙の侵犯になりませんからね。政治の話をするときに、何を支持しているかは議論のスタート地点なんですから、それをダメって言われるともう政治の話なんてできっこありませんね。

 あーこういう話はぐだぐだとならいくらでも書けそうです。でもしまりがない文章はだめですね。それに私も眠くなってきました。おやすみなさい。