PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ不倫・浮気はいけないのか

 Yです。前回、T君が新しいトピックを出してくれましたが、僕はまだ不倫や浮気について考察し足りないので、もう少しこのテーマについて考えようと思います。前回、T君が言った通り、浮気が未来の生活空間の乱れにつながるというのは、共感や納得のしづらいものだったと思うので、そこを詰めていこうと思います。

 まず不倫について考えます。前回の僕の記事で、不倫は生活空間の乱れにつながるという考えを述べました。自分の生活空間に配偶者や子どもが必要だと考えている人に対しては、生活空間の乱れにつながるから、不倫をしないことは受け入れやすいと思います。問題は、自分の生活空間に配偶者や子どもが必ずしも必要でない、または生活空間に配偶者や子供がいることが苦しい人の場合です。(それぞれの場合を不要、苦と略し、生活空間に必要な場合を必要と略すことにします)相手、つまり配偶者や子どもからも自分が不要、または苦の場合は離婚するのが良いと思います。不倫の必要はありません。(双方が不要の場合は離婚する必要はありません。この場合は不倫をしても良いのかもしれません)以下では、配偶者や子供にとって自分が必要な場合(夫婦同士の関係が冷めていても子供には両方が必要とされている場合も多いと思います)を考えます。

 以前、自己犠牲的正義について考察したときに相手が得をしても自分だけ損をするような選択肢を選び続けることは、後に歪みが生じやすいという結論になりました。また、自分が得をしても相手が損をする選択肢を選ぶと罪悪感などにつながる場合があり、その時は罪悪感に苛まれなくても自分の選択肢に満足し続けなければ後悔する場合もあるでしょう。例えば、不倫をして離婚して不倫相手と再婚してもそこで少しでもまた不満を感じた時に自分の選択肢で結局、自分も元々の配偶者も得しなかった、自分の選択肢は間違っていたのだと思い始めます。離婚への罪悪感が強いほど、このような感覚に陥りやすく、一度で罪悪感を感じなくても離婚を繰り返すうちに罪悪感はだんだん蓄積していくものです。したがって、自分だけが得をして、相手が損をするという選択肢も後々に歪みが生じやすいのではないかと考えました。なので、自分も相手も損はしない選択肢を選ぶという立場に立つことにします。

 では、不倫の話に戻りましょう。自分の生活空間に相手が不要、相手には自分が必要の場合、自分は相手である必要性はないが、相手であってもよいという状態なので、不倫をして相手の生活空間を乱す選択肢は自分無、相手損です。だから不倫をするべきでないという考えになります。次に、自分の生活空間に相手がいることが苦、相手は自分が必要の場合を考えます。不倫をすることは、自分得、相手損、不倫をしないで耐えることは自分損、相手得です。なので、先の、自分も相手も損はしない選択肢を選ぶ立場では両方の選択肢が不可能です。生活空間を改善するために家族との関係を良くしていくことくらいしか選択肢が思い浮かびません。それで駄目なら、自分か相手が損をする選択肢を選ぶしかありません。

 このような状況を防ぐために、結婚は自分の生活空間に相手がいることが苦にならないような相手を見極めるための入念な調査か、相手が生活空間にいることが苦になってもその状況を改善するための努力を惜しまない、最悪耐え続ける覚悟が必要なものなのだと考えました。

 では、浮気の場合はどうなのでしょう。それは次回、考えようと思います。もうこの記事で、不倫や浮気についての記事は自分だけで5個目になります。不倫や浮気の問題は、思っている以上に根の深い問題なのだと感じました。次回で終われるかと思います。