PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ不倫・浮気はいけないのか

 Yです。昨日の予定がもう夕方に。また遅刻を記録更新してしまいました。申し訳ない。さて今日は不倫と浮気がいけない理由について再度、考えてみたいと思います。

 まず、いけないというのは違う気がしてきました。僕が興味があるのは、浮気や不倫をしない、という主義をとる人の納得いくような説明やそこにある哲学であります。いけないことだから、やらないという形の論理にこだわる必要はありません。いけなくはないけど、やらないという形でも理解できる面白い哲学であれば何ら問題はありません。

 どうして友人は一人である必要などないのに、恋人は一人が良いとされるのでしょう。結婚、ゆくゆくは親戚とか子供とかのことを考えると、恋人が複数人いるとややこしくなると感じます。というか例が少ないので、想像しづらいです。でも結婚をしない場合、恋人は一人でなければいけないのでしょうか。やはり友人と恋人の違いは結婚とかその後の関係の変化が大きく関わっていると思います。友人の間にも嫉妬などの感情はあると思うし、結婚がなくて子供が生まれない世界だったら恋人は一人でなければいけないという考えの人は少なかったと思います。

 浮気や不倫が許されている世界を想像してみます。夫が帰ると妻が言う、「あなた、おかえり。遅かったわね。今日は不倫?」「ああ、そうだよ。今日は会社の後輩とバーに行ってきた」「そう。来週、○○さんと不倫してくるわね」こんな感じでしょうか。不倫という言葉は使わないでしょうが、この会話が行われている状況を思い浮かべると、家庭が崩壊しているようには感じません。職場や近所付き合いの延長にあるように感じます。このような状況が思い浮かんだのは、僕が恋人を友人のようなものだと想像していることにあると思います。(なぜ想像と書いたのかはお察しください)

 では、同じ世界を恋人の家族的側面を強くして想像し直してみます。夫が帰ると妻が言う、「あなた、おかえり。遅かったわね。今日は不倫?」「ああ、そうだよ。今日からその人もこの家で一緒に住もうと思うんだけど、どう?」「良いんじゃない。来週、○○(子供)の面談に○○さんと一緒に行くわね」さっきよりも現在の世界からの距離が遠くなったように感じます。今日から見ず知らずの人と住める精神や子どもの将来に見ず知らずの人(夫側の視点)が関わるのを気にしない精神が分かりません。そこです。家族には、自分の弱みやだらしなさを見せているし、嫌なところが少しあってもすぐに離れたりはしない。同じ生活空間にいなければならないので、ずっと強がってもいられないし、多少の嫌は許さざるを得なくなる。自分の生活空間に新しく誰かが入ってくるということはかなりのストレスが伴い、大きな信頼がないと許すことが出来ないと思います。

 不倫は生活空間の崩壊の危機となり得る。生活空間に新しく誰かが入ることがストレスとなるように、誰かがいなくなり形が大きく変わることもまた大きなストレスとなり得る。恋人もゆくゆくは結婚するのだと考えると浮気は想像されていた未来の生活空間を乱す行為なのだと考えた。

 不倫や浮気がいけない理由は分かりませんでしたが、それらが嫌だという気持ちについて生活空間という側面から理解が深まったと感じました。ですます付いたり付かなかったりしますが、大きな意味はありません。今日はこのへんで終わります。