PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ不倫・浮気はいけないのか

トピック  なぜ不倫・浮気はいけないのか

 

 Yです。昨日のT君の「ご飯様の前では皆無力」という言葉はなかなか印象的でした。日記というと、一日を振り返って夜書くのが一般的だと思いますが、前から考えていたことなので昼に書こうと思います。

 昨今、芸能人の不倫が大きなニュースとなり、実は不倫していたことが分かると世間から信用がなくなり、テレビなどの出演が大幅に減る人もいます。他人が不倫しているかどうかなど、ほとんどの人にとってどうでも良いことだと思っていましたが、世間の人は嫌悪感を示したり、詳細を探ろうとするのに一生懸命ですね。不倫のスキャンダルがニュースで取り上げられることも増えましたが、僕はいまだになぜ不倫や浮気をしてはいけないのかについて納得する説明を聞いたことがありません。僕は不倫や浮気をしたいわけではありませんが、不倫や浮気について考えることは長い時間、同じもの(人や仕事や趣味)と付き合うことについて考えることにつながっていて、考えないといけない大事なテーマなのだと直感的に感じるのです。

 不倫や浮気が駄目なのは、相手を傷つけるからだという意見がよくあります。しかし、逆の立場、自分が浮気された側になった場合を仮定したとき、僕は自分が裏切られて傷ついたなどと相手を断罪している姿が思い浮かばないのです。むしろ自分が相手を飽きさせてしまったから、自分に好意がなくなったのだろう、などと相手より自分の中に原因があると最初は考えると思います。僕は、人に要求することは自分にも要求するべきであり、自分に要求されることは人にも要求してよいという立場にいます。人にやられて嫌なことはしない、子供社会を平和に生きるために体得した人が多いと思われるルールです。その価値観を適用すると、僕が浮気をした場合に原因が相手にあると一度は考えることを要求したくなります。その考え方は、自分の浮気性を相手のせいにするようで美しく見えません。

 子どもの時に、体得したあのルールは間違いなのでしょうか?(そのルールを仮定すると結論が間違っているので矛盾より背理法からルールは間違い)つまり、相手に求めないことまで自分に求める、器の大きな人間になれ、というのでしょうか?(すると、公平性とは何だ?男女平等という考えから離れないか?)それとも結論は浮気性ではないことを同時に仮定していれば美しい、あるいは結論は美しくなくても認めざるを得ないのでしょうか?あるいは、自分に原因があるとかではなくて、もっと納得いくような説明があるのでしょうか?

 頭がゴチャゴチャしてきました。T君も読むのに苦労したと思います。4段落目を中心とする、僕の疑問に全て答える必要はありません。もちろん答えても良いですが、T君の考えを独立に書いても良いです。