PacKon’s blog

TとYの交換日記

なぜ不倫・浮気はいけないのか

 Yです。今日は前回の自分の記事について昨日のT君の質問に答えたいと思います。

  • 相手に浮気された時、自己犠牲的正義に基づき自分の利益を手放すとは具体的にどんな利益を手放すことなのですか?

→自分の行動を変える場合、それなりのストレスが伴うことがあると考えます。浮気した相手に問題があるという結論になった場合、浮気した方が行動を変える度合いを高く設定することになると思います。しかし、浮気された側に問題があるという結論になった場合、浮気された側が行動を大きく変える必要があります。浮自責観そのものは、浮気された原因が自分にあったと疑うことであり、結論づけることではないですが、自己犠牲的正義に基づいた浮自責観の場合、相手に原因がありそうでも自分に原因があったと結論づけてしまう可能性が高いと思います。その場合、過去の自分の行動の一部を納得がいかないまま否定することになったり、納得がいかないまま行動を変えたりする必要があり、ストレスになります。

  • 相手に浮気された状況で、自分の利益を手放すことがなぜ美徳につながるのですか?自分の利益を手放すということに関する一般論ではなく、相手に浮気されたという具体的な状況で、どのように美徳につながるかを聞きたいです。

浮気されたときに、相手を糾弾するだけの人間と、自らに原因があったのではないかと考える人間を比べます。後者の方が相手の非行を許し、自分の非を認める精神があり、大人らしい、器が大きいと思う人が一般的に多いのではないか、というのが僕の主観です。(浮気の前までの行動がどれほど良かったかは問わず、あくまで浮気された後の二つの選択肢のみに注目したときの話を考えてください)

  • 「相手に浮自責感に反する考えを取られたときに抑圧されていた気持ちが表出する」について、浮自責感に反する考えとはどの考えのことですか?また抑圧されていた気持ちとはどのような気持ちのことですか?

→浮自責観に反する考えとは、浮気された側が浮気の原因(複数考えられる場合も含めて)が自分にあると全く考えない(考えた結果、自分にないと結論づけることではなく、考えもしないことを指します)、考え方のことを言います。「抑圧されて~」という部分は浮自責観を持つ人間が浮気をした場合に、自分の言い分として相手にも原因があると思っていた場合を考えています。(だったら別れるか、不満を言うかした方が良いのではないか、と思ってきました。仮定として少し不自然ですが、自己表現が苦手だったとか、段取りを踏んだ方が良いとわかりつつ、魔が差したとか、そういう場合を考えてください)抑圧されていた気持ちとは、………ここは少しおかしいですね。別に抑圧されてはいませんでした。自分が逆の立場ならするであろうことをしてくれない不満ですね。最初に問題が戻ってしまいました。うーん……浮自責観に自己犠牲的正義が含まれていた場合、浮自責観に限らず他の価値観にも自己犠牲的正義が含まれていることが考えられます。他のところで、相手が悪いと思っても、自己犠牲で自分が行動を改善するということをしていた場合、その時に抑圧されていた感情が、浮自責観に反する考えを取られたときに表出するのだと考えました。抑圧されていた感情とは、自分が相手のために行動を改善し続けていた時の我慢のことです。

  • Y君の浮自責感に自己犠牲的正義が含まれていなかった場合について、次の意味であってますか?「相手に浮自責観を求めるのは、他の理由で浮自責観を(Y君が)とっていたのに、(自己犠牲的正義が)道徳的に美徳となりやすそうな考えだから、無意識がそれ(自己犠牲的正義)を利用したり、(自己犠牲的正義は美徳であると)誤解したりして自分が自己犠牲的正義によって浮自責観を取っているのだと錯覚するから(美徳である自己犠牲的正義を相手にも要求する)」。あっていたとしても、よりわかりやすいほかの言い方をすることはできますか?

→「相手に浮自責観を求めるのは、他の理由で浮自責観を(Yが)とっていたのに、(自己犠牲的正義が)道徳的に美徳となりやすそうな考えだから、無意識がそれ(自分の考えが道徳的に美徳であると結論するために、自己犠牲的正義が美徳となりやすいこと)を利用したり、(自分は自己犠牲的正義によって浮自責観をとっていたのだと)誤解したりして自分が自己犠牲的正義によって浮自責観を取っているのだと錯覚するから(浮自責観に自己犠牲的正義が含まれていた場合と同じように、相手にも浮自責観を要求したくなる)」というつもりで書きました。まとめて言うなら、浮自責観が自己犠牲的正義に基づいていることにした方が得だと無意識が考え、意識は理由を錯覚するということ。

 質問に答えながら自分でも分かっていないことが多かったと感じました。自分の考えも少し深まった気がします。これまでの記事は不倫、浮気の話というより自己犠牲的正義の話だったと思いました。次回は、不倫や浮気をしてはいけない理由として納得できるものを探りたいと思います。(してはいけないと考える方が不自然という結論になるかもしれませんが、とりあえず考えてみようと思います)